80歳仙人の人生の物語。

すごい長いです。果てしなく長いです。笑
本を読むような気持ちで、読んでもらえたらいいな^ ^

男気と音楽で生きてきた波乱万丈な人生。
始まり始まり😊✴︎✨

青森県で生まれた仙人。

今もかなり有名な大規模なお菓子屋さんの息子さんで、お坊っちゃまですね。
仙人の音楽の始まりは子守唄だそう。

“母親が赤ん坊の頃、歌ってくれた子守唄を全部音で覚えちゃってたんだよ。“

豊かな家庭ではあったけど、時代は戦後。
通っていた小学校にはピアノがなかった為、隣の小学校まで行き独学でピアノを練習してたそう。
その後、上京し音大へ。
音大を出てすぐ、音楽で生活するようになった仙人。

主に米軍キャンプや夜のお店へ歌いにいく日々。
日本中だけでなく、アメリカ、ハワイ、サイパン、グアム、様々な場所へ。
活動も華やか。
収入も今の一般的なミュージシャンとは桁違い。
しかし、30歳手前でステージから離れる。

「なんでステージに立つの辞めたの?」🐣

“んー。
ある日ね、米軍キャンプへ歌いに行った後、事故に遭ってね。目をケガしたんだよ。
そのあとステージには立たなくなったんだ。“

なんかそこはよくわからないけれど🐣

ちょうどその頃、周りから歌や音楽理論を教えて欲しいと言われるようになり、様々な場所で教えるようになった。

今では多くの人が知ってる資格の大原。
創始者の方がまだ四畳半くらいのスペースで生徒4人を1人で教えていた頃。
その時代からその方と共に歩み出したり。
大手プロダクションでも教え続け。
75歳までは現役で変わらず教えていたそう。

“僕はね、ずっと僕を中心に地球が廻ってるのかと思うくらい全てが上手くいって。
何でも手に入った。
でもその考え方が良くなかったんだ。“

大学を卒業してから、仙人が得ていた収入はすごい額。使う額も。
マンションも欲しいと思ったら、サッとポコポコその場ですぐ買ったり。
世もバブルだったのか?🐣

でもその後、ガラッと変わることになる。

“その後、自分でね、レコード会社を作って。幼児教育向けのレコードを作ったんだよ。
その頃の、子供たちの音楽教育が良くないと感じててね。
僕が変えてやろうと思って。
でもね。
次の年にカセットテープが出てね。
次にCDが出てきた。
すごい数のレコードが無駄になった。
いくつか持ってたマンションにレコードの在庫を置いてたけど。あまりの重さで床も抜け落ちたんだよ^_^“

その時負ったのは、数億円の借金。

「えっ!じゃあ自己破産したの?」🐣

“なんで自己破産なんてするの^ ^?
大した額じゃないでしょ。
1人で10年間で返したよ。僕はツイてるから。“

それからの生活は、
朝9時前から幼稚園や保育園の先生たちにピアノを教えにいき、午後から夕方までプロダクションのタレントたちのレッスン。
夜からホストクラブ、クラブ、スナック数件をピアノの弾き語りで回る。
長い長い1日が終わるのは朝4時頃。

“目覚ましを8時20分にかけて、車の中で少しだけ眠ってたよ。“

次の朝の幼稚園、保育園までの数時間の間だけ。
休みなく、毎日この繰り返しの10年間。
そして1人で10年で完済。

“僕は本当にツイててね。
完済した頃、ホストクラブとかでも生演奏がどんどん無くなっていってね。
時代も味方してくれたんだよ^ ^ アハハー!“

借金を負ったとき、仙人が1番始めにしたことは、自分が雇った人たちの職を一緒に探すことでした。
しかし、信頼して尽くしても、お金を持ち逃げされてしまったり。
その時の精神状態ってどんなものなのか。

“僕の事は僕自身でどうにでも出来る。
僕は心が強いから。
でも、他の人の事は僕が助けてやらないと。“

映画の中の世界みたいなお話。
そんな風に考え、冷静に行動出来るのだろうか。

「途方に暮れたりしなかったの?」🐣

“信頼してた人に裏切られた時は少し悲しかったよ。でも不安は全くなかったね。“

今住んでる高級マンションは手放さず、今もそこに在住。

“時代をちゃんと読んで行動していかないと、僕みたいなことになる。
僕は浅はかだったんだ。
男気だけで動いたから。
経営には向いてなかったね。
多くのお金も得てきたけど、出ていくのも多かったねー!アハハー!“

79歳からパソコンを習い始めプログラミングを勉強していたことも。
新たに動画の勉強をしてるのも、その経験があったからなのだろうか。

仙人の時代の音楽家。
歌の先生の時代の音楽家。
時代によって、全く違う。
そして今。
またこれから音楽の流れ方や求められ方は、変わっていくのかもしれない。
変化を恐れず、変わることと変えないことを見極めたい。

私はラッキーなことに、カッコいい人たちに出逢わせてもらっている。

でもそれは私はお父さんの愛情をあまり知らずに育ったからなのかもしれない。
小学生の頃、始めて友達のお父さんにあった時、
「なんでこの娘のお父さんはこんなに優しいのだろう。」
と、不思議で仕方なかった。

そこから人をよく観察して、わからないことは何でも聞いてきた。特に男性にかな。

本当って何?
ステキな人って?って、ずっと探してきた。

今思えば結局のところ、本当に探していたもの、欲しかったものは、お父さんからの愛情だったのかもしれない。
今ではそんな家庭環境さえ、大きなギフトだったなと心から思う。
私が私を生きる上では、すべてが完璧。

有難い出逢いの中で、たくさんお話を聞いたり、一緒に過ごす中で、その人たちには共通点が多いことに気付いた。
繕えない細部までカッコいい。
生きてくる中で鼓動、呼吸の深さにさえなってる。歳を重ねても色気があり、本当にカッコいい。

そして、瞬間的な欲には一切手を出さない。

さて、今度は歌の先生の人生の話もしたいなと思います🌱✨前に書いたかな🤔?
勝手に。笑
私にとってこの人以上の人はいないのかもしれない。

あくまで人の人生でしかないけれど、私はとても勉強させて頂いています。
まだまだ到底比べ物にもならないけれど🐣

写真は仙人がプレゼントしてくれたリュック🐣✴︎
先日の仙人のお誕生日プレゼントのお返しにと。
歌の練習で使う、パソコンとインターフェースを持ち歩いてる私のために買ってくれました🌱
大切に大切に使おう❤︎✨

最後まで読んでくれてありがとうございます。
すごい長かったね🐣

今日も練習行ってきます✴︎^ ^✴︎